「花々里《かがり》、返事は?」
有無を言わせぬ調子で畳みかけられて、「はい」としぶしぶ首肯したら、「じゃあとりあえず食堂へ行こうか」って手を引かれた。
「よっ、頼綱《よりつな》っ」
そんな頼綱に、私は恐る恐る手を引っ張り返しながら声をかける。
み、御神本《みきもと》先生。ここにいらっしゃる皆さんが見ておられますよ?
私みたいな乳臭い小娘の手を引っ張って歩いて、大丈夫ですかっ?そう、視線で訴えたけれど、逆にニヤリと不敵に微笑まれて。ばかりか、グイッと強く手を引かれて、よろけたところを当然のように抱きとめられてしまった。
「ひゃっ! ひょ、頼綱っ」
気が動転するあまり、頼綱と呼べなかった私を完全無視して肩を抱いたまま、頼綱が颯爽とロビーを突っ切って行く。
みっ、皆さんの視線が痛いですっ、頼綱坊っちゃまぁぁぁぁーっ!
*** 食堂は職員のみではなく、この病院を訪れた全ての人が利用出来るみたいで、昼時を過ぎたこんな時刻にも関わらず、思いのほか賑わっていた。と言っても、やはり一般利用者と思しき面々は昼食というよりティータイムに近い様相で、コーヒーや紅茶と一緒にケーキなどを食べている人が多い。
代わりに頼綱みたいにドクター然とした人たちや、ナースさんたち――白衣やネームプレートで分かる――は、一様に遅めの昼食といった雰囲気。
支払い時に、職員はツケがきくみたいで、頼綱もお金を支払わずに職員証のバーコードをスキャンしてもらっていた。
どうやらそうすることで、職員割引も適応されるらしい。私のためのミルクティーも頼綱のランチと一緒にレジを通してもらって、渡された食券と引き換えにレジ側の受け取り口で注文の品を受け取った。
そうして今。私たちはやっと、窓に面した席に2人対面で座ったところ。
遅めのランチ――ささっと食べられるように親子丼を選んだみたい――を頼綱が摂るのを見ながら、私はホカホカと湯気の燻るミルクティーをすする。
まるで大丈夫だよって言われているみたいで何だか余計に照れ臭い。 よくよく考えてみたら、好きな異性の前でやたら頻繁にお腹の虫を鳴かせる女の子ってどうなのよ!?と思って。 今までは頼綱《よりつな》のことをそんなに意識していなかったから気にならなかったのかな。 今日はやけに恥ずかしく感じられて困ってしまう。 ここに着くまでに、車の中で例のシュークリームをもらって食べたけれど、私にしては珍しく「頼綱と〝美味しい〟を共有したい」なんて高尚な思いにかられて、半分こしてしまった。 それでかな? お腹空いたよぅ! こんなことなら頼綱にあげるの、一口にしとけば良かった! 少量だって、きっとあの美味しさは共有出来たはずなのに。 キスで舞い上がって〝お調子者〟になっていた先刻の自分を叩き倒してやりたいっ! などとケチくさい後悔をしつつ腕時計を見ると、18時を回っていて。 いつもなら、八千代さんと一緒に夕飯作りをしている頃合いだ。 今日の夕飯、何時になるだろう。 「あ、あのっ」 そこで恐る恐る腿に乗せられたままの頼綱の手に触れて彼を見上げたら「何だね?」と問いかけられて。 私は店員さんの視線を気にしながら、頼綱の肩口を引っ張ると、そっと顔を寄せて耳打ちをする。「夕飯……」 考えてみれば昨日も八千代さん任せになってしまった。 2日連続とか申し訳なさすぎる! そう思って「夕飯の支度……」と続けようとしたら「八千代さんには今夜は夕飯は要らない旨、連絡済みだよ」って言われて思わず「え!?」と声が漏れた。 「き、聞いてないっ」 腹立たしさにぷぅっと頬を膨らませたら、クスッと笑われて。「今夜はずっと
「俺もキミもキャリアは一緒だから、契約者名の変更と機種変だけでおおむねいけそうだね」 壊れた携帯を前にそう言われた私は、doconoショップのカウンターで、ショップ店員のお姉さんと頼綱《よりつな》に挟まれてキョトンとする。「どういう……意味?」 恐る恐る聞いたら、「Mobile Number Portability転出の手続きが不要と言うことだよ」と言われて、「MNP?」とますます目が点になる。 私、ホントこういうのに興味なし子でサッパリ分からないの。 頼綱の説明によると、キャリアをまたいで現行の番号のまま他所に行く場合は、事前に元々のキャリアに転出の手続きが要るんだとか。 でも同一キャリアならそういうのを省けるらしい。 今回は電話番号はそのままに、契約者名を頼綱に変えて、引き落とし先も頼綱の口座に変更するとか何とか。 機種もガラケーではなく、頼綱のと同じ食べかけリンゴマークのスマートフォンになるみたい。 「本当に……いいの?」 スマートフォンの機種代はおろか、私の携帯料金までも頼綱に被ってもらってもいいのかな。 ソワソワとすぐ横の頼綱を見つめたら、「その話はもうついたはずだよね?」 テーブルに乗せた手にそっと触れられて、頼綱の方を見たら思いのほか至近距離で。私は人前なことも忘れてドキドキしてしまう。 私、さっき頼綱と。 思い出さなくてもいいことまで思い出しそうになって慌ててうつむいたら、「花々里《かがり》の面倒を見るのは俺の趣味だから。――ね?」 そう、優しく告げられて、ただただコクコクとうなずいた。 実際は現状が居た堪れなくて、一切合切どうでも良くなってしまっただけなんだけど。 結局、私の携帯のあれこれについても何となく分かったような、分からないような……。 だけど私以外の2人は理解できてるみたいだし、まぁいっか、と思う。 私は番号が変わらないっていうのさえ分かれば十分。 みんなに新しい携帯番号を知らせなくていい
「花々里《かがり》、待たせたね」 待ちくたびれてうとうとしていたら、不意にポン、と肩を叩かれて。 その感触に、寝ぼけ眼をこすりながらぼんやりと視線を上げると、すぐそばに頼綱《よりつな》が立っていた。「……頼綱っ!」 ずっと待ちぼうけだったから嬉しくて、感極まった私は立ち上がるなり思わず頼綱にギュッとしがみつく。 いつもなら絶対にしないことをしてしまったのは、きっと寝ぼけていたのもあったんだろうな。「花、々里……っ?」 途端降ってきた、頼綱の戸惑ったような声音でハッと我にかえる。「あ、ご、ごめ、なさっ」 頼綱から触れられることはあっても、自分からそんなことをしたことはない。 お仕事で疲れてるのに急にこんな……。嫌だったよね。 雇い主が使用人に触れるのと、その逆とではやっぱり意味合いが違い過ぎる。 分不相応なことをしてしまったと思ってしゅん……として。慌てて離れようとしたら、そのままギュッと抱きすくめられてしまう。「俺はキミのことを憎からず思っていると散々伝えてあるよね? なのに何を謝る必要がある?」 すぐ耳元で低く甘くささやかれて、心臓がキュン、と高鳴った。 と、思い掛けず受付の方で電話の音がして、私は一気に現実に引き戻される。 診察時間を大分過ぎて、昼間ほど人気はなくなったとはいえ、ここは24時間体制の総合病院。 無人ではない。 私たち、そんなところで何ラブシーンなんて演じちゃってるのっ! 頼綱の香りに包まれて心臓がバクバクうるさい。 このままくっ付いていたら、それも彼にバレてしまいそうで、私は懸命に腕を突っ張って、頼綱から身体を引きはがした。「もう終わりとは――。キミは本当に情ない女性だ」 一生懸命頼綱から距離をとる私を見て、頼綱がククッと喉を鳴らすように笑う。 その意地悪な笑顔
あれよあれよと一緒に住むことになって、家で頼綱《よりつな》を見る機会の方が圧倒的に増えたからか、改めてお仕事モードの頼綱と向かい合っているんだと意識したらもうダメで。 恥ずかしさに頼綱のことを直視できなくなってしまった。 仕方なく中身の温んだカップをギュッと握りしめて、うつむきがちにうなずいたら、「いい子にしていたらご褒美をあげるからね」 って頭をヨシヨシされる。 頼綱はここが職場の食堂で、いわゆる公衆の面前だということを失念していやしないだろうか。「よ、りつなっ。こんな所でやたらめったら撫でないでっ!」 よくよく考えてみたらさっきから頭、撫で過ぎだから! 慌てて頭に乗せられた大きな手を払い除けるようにして言ったら、クスッと笑われて「ひょっとして照れてる?」って嬉しそうな顔を向けてくるの。 もぅ、そういう所作のひとつひとつが全部反則だから!「だっ、誰がっ」 思わずそう反論してみたものの、耳まで熱くなっているのが分かる。 もし視覚的に見ても真っ赤になっているのだとしたら、嘘をついているのなんてバレバレだ。 頼綱はそんな私に、「本当、俺の花々里《かがり》は照れ屋さんで可愛いね」って恥ずかしげもなく言って。 私は彼のその言葉で、やはり真っ赤になっているのだと自覚させられる。「頼綱の……意地悪!」 キッと頼綱を睨みつけてみたけれど、軽くいなされてしまった。 頼綱はそこでふと腕時計に視線を注ぐと、「――そろそろ戻らないといけなさそうだ」って残念そうに声のトーンを落とすの。 お医者さんモードの頼綱と一緒にいるの、目立つし照れ臭くて恥ずかしい!って思っていたくせに、そう言われたら何だか急に寂しくなった。 私はいつからこんな、ご主人様を待つ健気なワンコみたいになってしまったんだろう。「花々里。お願いだからそんな不安そうな顔をしないでおくれ。離れ難くなるだろう?」 フニッと頬をつままれて
「それならいっそ、ツーショットを撮ってお揃いにしようか」 そう、満面の笑みで言ってくるとか、卑怯じゃないですか!?「……わ、たし……携帯壊れたから無理!」 自分から待ち受けにしてやる!とか言い出したくせに、支離滅裂だ。 そう思いながら溜め息をついた私に、「そうそう。それなんだがね。今日はどの道キミの携帯を機種変しに連れて行こうと思っていたから。夕方にはその問題は解決するよ?」 ――その前に花々里《かがり》が携帯を壊してしまったのは想定外だったけど。 クスッと笑って付け加えられた言葉に、私は「え!?」と思う。 夕方あけておけって言ってたのってそのためだったの?「花々里がいつまでもガラケーを使っているからいけないんだよ。スマホなら地図アプリもあるし、何ならキミの居場所を俺が特定することも容易い。よしんば花々里がどこかで迷子になっても俺が何とかしてやれるし、幼なじみくんの手を煩わせることもなくなるだろう?」 何でもないことみたいにそっと頭を撫でられて、私はどこから反論したらいいのか分からなくて戸惑う。「ス、マホなんて高くて買えないっ。そ、それに維持費も……」 やっとのこと金銭面のアレコレを言い募ろうとしたら、「雇い主が従業員に電話を持たせることに何か問題があるかね? 会社でも外回りの多い人間には仕事用の携帯が支給されるものだよ。まさか知らないわけじゃあるまい?」 唇にそっと人差し指を当てられて、口封じをされた上でそう問いかけられて。 それはつまり、そのスマートフォンは頼綱《よりつな》からの支給品で、機種代はおろか通信費も頼綱持ちということでしょうか?「で、でもっ」 それはさすがに困る!と言い募ろうとしたら、「使用人と連絡が取れないのは、雇用主としては大変不便なんだがね?」とトドメを刺される。「いつまでも花々里に俺のスマホを貸しておくわけにもいかないだろう?」 私の手の中のスマートフォン
「俺に謝る必要はないよ。これは花々里《かがり》の私物だろう?」 まるで私の気持ちを察したみたいにふんわり頭を撫でられて、ついでのように「まぁ連絡が取れないのは不便だがね」と付け足された。 そうなの。私、まさにそこに対して申し訳ないわけで。 思いながら頼綱《よりつな》を眉根を寄せて見つめたら、「とりあえずこれを持っておいで?」 頼綱が白衣のポケットからいつも使っているスマートフォンを取り出して、オフにしていたらしい電源をオンにして私に差し出してきた。「画面のロックナンバーはキミの誕生日に設定してあるから。――外せるよね?」 言われて手の中のスマートフォンを見つめたら、真っ暗な画面が鏡面になっていて、私の顔が映っているだけだった。 ん? 私の誕生日、どこに入れるの? そもそも何で私の誕生日?とかアレコレ思ったけれど、それを口にするより前に横から伸びた頼綱の指先に画面をトントンとタップされて、意識がそちらに引っ張られる。 それと同時、今度は画面に「FACE ID」と出て、何これ!?となって。私、英語は嫌いよ!?「FACE IDは俺の顔じゃないと開かないからとりあえず――」 当然だけど持ち主ではない私と対峙しているスマートフォンは、顔認証ではロック解除にならないらしい。 頼綱が、自分の顔が認証されない角度から、手を伸ばして「ここをタップして――」と、FACE IDの文字に指先でトン、と触れた。 と、今度は画面に南京錠のマークと「パスコードを入力」という文言、それから数字が表示されて、「次から次に何!?」と思う。 目まぐるしく変わる画面を見て戸惑う私に、「下にキーパッドみたいなのがあるだろ? それを押して花々里《かがり》の誕生日を4桁で入れてごらん?」 頼綱が促してきて、恐る恐る「0210」と押したら、ロックが解けて画面が開いた。「ひゃっ」 何これ、何これ。 あまりの衝撃に、何故私の誕生日で開いちゃうの?とか、そういう疑問がポォーンと飛んではじけた。